青い目の人形 2
昭和二年、日本からもお返しとして五十八体の市松人形がアメリカへ渡りました。
こうして日米親善に一役買った人形たちでしたが、昭和十六年第二次世界大戦がぼっ発して、悲劇の時代を迎えました。
日本軍は青い目の人形を憎い敵といって、速やかに処分することを命じました。
人形たちは焼き捨てられ、投げ捨てられたのです。
しかしこの中にあって、人形の命を救った人たちもありました。
当時としては命がけのことです。
平和な時代を迎えたいま、青い目の人形は二百四十体が保存されており、このうち横浜市内本町小学校蔵の一体は人形の家に、また西前小学校にも一体が保存されています。